~第3章~ (10.03.12)

7時半起床、朝食メニューは全く一緒。枕銭は小銭(38€)を置く。9時にバス乗車。5℃。今日は2時間と4時間の大移動。酔い止めを飲んで出発。
約2時間の移動でラ・マンチャ地方のコンスエグラの風車見学。途中風力発電の風車と太陽光発電のソーラーパネルをみた。風力発電の風車の景色は三浦半島のそれと似ていた。風車は現在は回っておらず、観光用。個人の所有で修繕を行ないながら保っている。
ドン・キホーテの旅籠でトイレ休憩。その後もよく寝た。昼休みのパーキングまで峠道をあがっいて途中北穂から槍の縦走をしたときにみた中岳に似た景色が見れた。昼食はバイキング形式でとりすぎたけど美味しくいただけた。(11.9€)

16時半ごろグラナダ市内に到着。チェックイン後市内散策。別行動にて店などを見て回った。ホテルに戻る途中、水と炭酸飲料を買って(1.6€)、帰りつくもタイショー達が戻っていないのでホテルのラウンジでカフェコンレッチェ(スペイン語でコーヒー+ミルク=カフェラテ2.7€)をいただく。大きくて安くてよい。


市内観光やカフェに一人でいると落ち着くが、日本での出来事などを考えてしまう。「理想と現実の狭間で~」というフレーズがDef TechのMy Wayにの中にあるが、ドンキホーテ物語の中にも同じような文があった。理想や架空世界があるからこそ現実世界が存在するのか、その逆か。理想がなければ現実を不満に思うこともないだろう。理想や架空の世界の良い世界をイメージする事が自己研鑽に繋がるが、同時に自分を苦しめる事にもなる。理想と目標の差は微々たるものかもしれない。現実、現状に満足せず先を見て行く事を正当化していくことの意味はどこにあるのか。スペイン人の自由な発想には見習うところが多い。自分が良いと思ったこと、やりたいことが正しいかどうかにとらわれ過ぎて、生きる道を社会の流れにあわせすぎていないか。多数派が良いとする日本人の血なのか。どうしても周りの目を気にして自分の本音が言えなくなる。それで苦しむ位ならいいたいことをしっかり言える人間になったほうがよいのではないか。人は誰かの期待に沿う為に生きているんじゃない。ガマンしている自分に我慢できなくなる。新しいものに触れることによって自分の中の「当たり前」を崩して行く事が少しずつ出来ている実感。自分という一人の人間の存在価値を見出す手段として旅に出る。存在する事の価値は見つけられずとも存在意義は少しずつ見えてきている。

子供は万国共通で文句なしに可愛い

フラメンコショーの前に少しはなれたホテルで夕食。ビュッフェスタイルでポトフが美味しかった。移動したバスはベンツのマニュアル。帰りに車内で頭ぶつけた。坂が多く、狭い路地が多い街並みで、夜景がきれいだった。

フラメンコショーに入る前に明日見学するアルハンブラ宮殿がライトアップされているのを見ることが出来る高台のところへ行った。犬は放し飼いでよくほえていた。

フラメンコショー自体は22時からの予定だったが22時半スタート。ギターフルート歌踊りで1時間(30分で小休止)。新しい世界観を感じた。文字や言葉ではない踊りや雰囲気から伝わってくるものがあった。今回はいつも以上に写真を撮らず「その瞬間」を感じる事を大事にしたい。未知なる物に触れたときにその場の空気をありのまま感じられている。写真などを撮るとどうしても構図などを気にしてしまうが、目に映るもの、肌で感じるものをそのまま取り込んで帰りたい。ショーの最中、ワンドリンクでビールを呑んだため酔っ払っていたが、個人個人がそれぞれの世界観でフラメンコを踊っていた。
外で星座はあまりわからなかったがリゲルのみ見ることが出来た。

帰宅は0時。風呂に入らず就寝

小計:16.29€
合計:104.21€

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この日は色々思いを巡らせる時間があった。
「理想」と「現実」について色々思いを巡らせた。バスの中で添乗員さんがドン・キホーテ物語の一部を話してくれたので、考える材料が多かった。時間を見つけて全部読んでみたいな~と思った。作者のセルバンデスにとっても主人公「ドン・キホーテ」の生き方は理想像だったよう。現実との狭間で揺れながら、生きることの意味を問うていたのかもしれないですね。
コレを書いている時は1人でカフェで子供(幼稚園生位)が遊んでいるのをぼんやり眺めながら、だったんですが子供の無邪気な笑顔を見ていて、余計日本の機械的な、生産的な生き方という現実を懐疑的にみてしまった。日本では当たり前、良い、と思っていた固定観念が音をたてて崩れていく気がした。スペイン人の商売っ気のなさが良いのか悪いのかはわからないけど、まぁそんな生き方もあるよな~って。
架空世界、という意味ではマトリックスも思い出した。現実とは何なのか、なにが現実で何が非現実なのか。「現実的」とはなんなのか。同年代のインストラクター仲間が言っていた事。「みんなにとって雪山にいることは非日常かもしれないが、俺にとっては日常。インストラクターを続けて行く事が現実的でない、と言われるけど俺にとっては間違いなくそこにインストラクターとして輝いている現実がある」と。なかなか深いですね。やはり人間は「今」の「自分の現状」が「現実」であって、社会的に多数派が「現実的」なんでしょうかね。

理想像を持ち続けてきたからこそ、今のこの自分があるし、それに対して間違っていたとも思わないけれど、これからは理想像よりも自分勝手(自己中心・我侭)に生きることを意識(?)してみようかな。今では無意識に周りを気にしてしまうので、もっと自分の心の「本音」に素直に生きようかと。多分それはつらいんだろうけど、そこから見えてくるものもあるかと。理想像からあえて外れる事により見えてくるものもあるかな~

スペインに持っていった本にいいことがいっぱい書いてあって、影響を受けた。「はい、息を吐いて。それからゆっくり考えよう」という本で著者は伊藤守さんと言う方。た講談社+α文庫から出ている本なのですが、一部紹介したいと思います。

「僕達は“ふつう”であるために、ずいぶん、無理をしています。(中略)自分の感じることを抑えるのを「社会適応」だと誤解しているのかもしれません。」
「(前略)それよりは、「バカに戻る」と言ったほうが適当です。鎧を脱ぐ、肩の力を抜く、息を抜く。それは、賢いふりをやめることなのかもしれません。」
「(前略)伝わっているのはことばだけでなく体験です。だからある人のそばにいると、わけもなく幸せで穏やかな気分になる一方、ある人といると、なぜかイライラしたり緊張してる、といったことが起こるのです。(中略)ですから、自分をどんな体験でいっぱいにしておくかということは、とても大切なことなのです。」
「(前略)「警戒しながら、心を開く」という矛盾を強いられているわけです。」
「(前略)話の裏を読んでしまうのは、もうしかたのないことなんです。それをどうするこうすることはできません。「ああ、そうなんだな」「たしかにそうしている」それに目を向け、その声を聞く。その「間」を自分に与えるだけで十分です。やがて、ゆとりが生まれるようになるでしょう。」
「(前略)要求できない。それは、断られることへの怖れでしょう。(中略)要求しない人は、我慢するだけになってしまいます。そこで終わればいいですが、やがて「我慢している自分」に我慢できなくなります。」
「心配性の人は、心配の種を探し回っています。(中略)下手すると、いちばんましな心配事を選んで、そこに自分から飛び込んでしまう事だってあります。そういう人は、何の心配もないと、その事を不安に思います。少し心配事があって普通なんです。もちろん、それなりにつらいのだと思います。」
「いつか、どこかで、自分の存在するその価値に気がつけばいいんですけどね。自分の存在価値は、人の評価によって決まるわけではないことについて。自分は誰かの期待に応える為に生まれてきたわけではないことについて」
「(前略)いまあるがままの自分を否定して、本当は自分はもっとできる人間だと言う、自分のあるべき姿をそこに浮き彫りにしたいのでしょうね。自己嫌悪に陥って、確かに気分は悪いのです。でも、一方では、「本当の自分は・・・」なんていう、プライドに磨きをかけることができるわけです。」
「相手を変えたいと思うのは、結局、自分の為に相手を変えたいのです。」
「(前略)あなた次第で生きている。つまり、他人の評価で、自分の価値を決定している人たちは、そう思うのです。「自分の気分は、自分次第」と思っている人は、そうはならない。ともだちになるなら「自分次第」と言う人がいいですね。結婚するなら、独りでも幸せになれるような人と結婚したほうがいい。「だれかといっしょになることで幸せになろう」「自分を幸せにするもしないもあなた次第」と言うような人は、重いですよ、やっぱり。」
「(前略)世界は頭で思い描くように出来ているわけではなく、つじつまの合わないことが実存しています。パラドックスと言うと大げさですが、それまでのさまざまな先入観や「かくあるべし」との思い込みで自縄自縛に陥っていた思考が、現実を見てガラガラと壊れてしまう瞬間があります。」

「新しい意味や理解、解釈は、自分の体験している領域の広がり、新しさをもたらします。」


内容の中には「社会で生きている以上仕方のないのですが・・・」とただし書きがあるのですが、その上で、書かれている内容に共感を得ました。文章の構成自体好きです。煮詰まった時に読むにはいいかもしれません。


最後にちょっと気に入った一文を
「(前略)恋ははたから見ていると、変で、うらやましいものです。好きだと思うことも恋で、告白も恋。告白できないのも恋で、ふられるのも恋。あきらめるのも恋で、あきらめないのも恋。恋していない間、人は暇だから、仕事に精を出したりするんです。夢を追ったりね。」



ここがターニングポイントだったのかな。




はい、そこのあなた。
息を吐いて、それからゆっくり考えようね
by hiroshi-aaa | 2010-03-18 09:37 | おでかけ